歴史災害の経験と知恵の継承
中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」主催シンポジウム

Jan 19, 2005 Kobe Japan

 2005年1月17-22日、神戸で阪神淡路大震災10年を記念して神戸で国連防災会議が開かれた。その会議に共催する形でパブリックフォーラムが開催され、多くのシンポジウムが開かれた。中央防災会議の災害教訓の継承に関する小委員会では、ブースを使い、活動をポスターで展示するとともに、シンポジウムを開催し、多くの参加者を迎えて盛況のうちに終了した。
 山岡もシンポジウムのパネルディスカッションに参加し、「時空を超えた災害教訓の伝承」を主張した。私は漠然と伝承を未来の日本に伝えることのみをイメージしていた。しかし、2004年12月26日に発生したスマトラ沖の巨大地震津波は、日本人が持っている災害教訓を日本以外でも十分に行かせることを(あたりまえであるが)明確に示した。最新のEOS(AGUのnewsletter)では英国人の地震学者が異常な海面変動を察知してホテルの客と従業員を避難させたことが示されている。日本でも「稲むらの火」が有名であるが、まさに「稲むらの火」の五兵衛の役を英国人の地震学者がしたのである。以下に「稲むらの火」の要約とEOSの記事の要約をのせる。

稲むらの火
和歌山(1854年12月23日)
「これはただごとではない」とつぶやきながら、五兵衛は家から出てきた。村では豊年を祝う宵祭りの支度に心をとられさっきの地震にはいっこうに気が付かないようだった。海を見ると波が沖へ沖へと動いている。「大変だ、津波がやってくるに違いない」と五兵衛は思った。
五兵衛は大きなたいまつを持ち、取り入れるばかりとなっていた稲むらに火をつけた。村中の人はそれを見て大騒ぎとなり、海辺から急いで上ってきた。そのとき「津波だ」と誰かが叫んだ。人々は荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。村人はこの火によって救われたのだと気づいた。

スリランカ(2004.12月26日)
9:30AM 英国地震学者がスリランカ海岸にあるリゾートホテルで妻と朝食をとっていた。朝食後ふと見ると潮位がゆっくり数メートル上昇し、プールやロビーを浸し始めた。そのあと20分ほどかけて潮が引き、通常よりも7mも下がった。私たちは大きい「何か」がくると確信し、ホテルの従業員に、海岸にいる人たちにすぐ避難するように拡声器で伝えてもらった。多くの人たちは異常な引き潮につられて海岸に出ていたのだった。
10:10AM 7mにもおよぶ大津波が押し寄せてきて、ホテルの1階のテーブルや家具などをすべて押し流した。しかし客も従業員もすべて上階に避難していて無事だった。(EOS vol. 86, No.12, 11 Jan.2005)